蝸牛記


日々の暮らし 読書メモ 観劇(レ・ミゼラブルなどミュージカル中心)メモ(筧利夫さん・今拓哉さん中心) 旅行メモ・最近は宝塚にも手を広げてしまいました。
by moriko1012
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壁抜け男 11/4 マチネ 自由劇場

随分と時間がたってしまった。自由劇場というハコは良くできていると思う。5月に鹿鳴館で初めて入ったときも思ったけど、今回ますます実感。今回は最後列のサイド通路側に座ったけど、舞台が凄く近く感じる。もちろん小さい劇場だから、ということもあるけど座席配列やステージの高さなど私の知らないような工夫がたくさんあるにちがいない。以前BSで石丸さんが自由劇場を案内した番組を見た時の話によれば、相当舞台裏も贅沢らしい。またここを訪れる日があることを願ってやまない。

さて、本編について。今までにみてきたミュージカルとはちょっと毛色が違う感じで新鮮だった。バンドも3人しかいないのに、しっかりと溶け込んでいたし聞かせてくれた。キャストの皆さんは何役もこなさなければならないから大変だろうけど、ひとりひとりが自分の持ち場をしっかりやる!という雰囲気。
曲も耳なじみがよく、シャンソンぽいのとかお洒落でした。訳詩が荻野アンナさんとなっていた。彼女の駄洒落好きな心が反映されたなかなかよい訳詩だったのでは?
デュティユルが壁抜け男になるということについて、ちょっと考えてみた。これが発表されたのは1943年だそうだから、まさに第二次世界大戦の末期とも言える時期。エイメ自身は占領下のフランスにおいてユダヤ人作家を擁護したりしていたようで、こういった時代背景がこの小説に影響を与えていると考えても良いのでは。「壁を抜ける」ということは「自由に何事にもとらわれず生きるということ」だったのではないかと思う。思想とか信条とか常識とか、倫理観、世間とかそういったものを全て「超越」してしまうということ。この世界には無数の「壁」が存在している。それは物理的な意味でもいえるし、もっと抽象的な観念的な意味でもいえると思う。だからデュティユルがそんな「壁」を「自由気まま」に抜けてしまうということは、ある意味エイメ自身の世界に対する挑戦でもあったのかもしれないとも思う。しかし「壁」を抜け続けた後に待っているものは「永遠の壁」だった、というのはなんともフランス人らしい皮肉というかエスプリの利いた結末だとも思うけど。またデュティユルが壁抜け男になったことで、自分を「開いて」いったこと、イザベルにある「壁」も抜けていったこと、それを繋いだのは「愛=amour」というのもいかにもフランス、だなぁと感じる。

石丸さんは全編歌って踊って、すごかった。「王子さま」イメージが強いけどこういうのもいい!坂本さんイザベルも可憐な雰囲気でよかったです。足出しちゃう所はびっくりしたけど。
高井さんはジーザス以来かな~。ジュディオン素敵~。このあと怪人に戻れるのかしら?と思ってしまうくらいの壊れっぷりでした。(いま怪人中ですよね、観にいきたいな~)

最後は皆で合唱というのもちょっと恥ずかしかったけど、いいもんですね。気持ちがほっこりする佳品なミュージカルでした。また機会があったら是非行きたいですねぇ。できれば、自由劇場希望です~。
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by moriko1012 | 2006-12-08 18:41 | 観劇レポ
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